日本書記において、第12代景行天皇が熊襲征伐の為に九州へ出征する最後の逗留地が佐波、現在の山口県防府市である。景行天皇が仮宮を置いた場所が、玉祖神社の近くに御在所として残されている。
景行天皇は、実在した天皇なのか。もし実在するとしたら、年代はいつになるのか。
これまで幾度となく聞いた質問だが、それを正確に答えることは誰もできない。ただ色々な角度から検証することで、ある程度のことは明確になってくるだろう。それでも多くの人々が期待しているような解答であるかは分からない。各地の景行天皇の伝承地を訪れ、その伝承について調べていくと、期間は約200年程の間に何人もの景行天皇が存在しているかのようなことにもなってくるのである。
また馬が日本にもたらされたのは、応神天皇の時代というのが定説となっている。大陸からの渡来人(秦氏)を受け入れた時に馬も入ってきたそうだが、景行天皇は九州を徒歩で進んでいったのだろうか。現在のように整備された道がない時代に、福岡県から大分県、宮崎県、熊本県を転戦する。兵站も人の力に負うところの多い時代に、景行天皇軍はどのくらいの規模の軍隊であったのだろうか。
景行天皇は神功皇后と同じく九州に多くの伝承を残している。なぜ景行天皇像は生まれたのか、今回のフィールドワークを通して、その実像に迫りたいと思う。