歴史探訪」カテゴリーアーカイブ

当社では、九州にまつわる歴史についての調査やコンテンツ開発を行っています。ここでは、最新の調査状況やコンテンツ開発への取り組み等の情報をみなさまに提供させていただいています。

宇佐 風土記の丘

投稿者: | 4月 25, 2022

赤塚古墳 この風土記の丘に最初に築かれた前方後円墳で、西暦250~280年代頃ではないかとされている。この古墳に眠っていたのは、当時の菟沙津彦だった。「魏志倭人伝」に記載されている女王卑彌呼は、西暦248年頃死んだとされ… 続きを読む »

景行天皇の足跡を追って 4 京都峠

投稿者: | 5月 23, 2021

この京都峠は、奈良朝廷が促進した官道整備の一環で生まれたのか、それとも官道以前から使われていた峠道なのか。この峠道は、小倉南区や苅田町と京都平野を繋ぐ峠道で、苅田の入り口には三角縁神獣鏡が出土した石塚山古墳や鵜萱葺不合命… 続きを読む »

景行天皇の足跡を追って 3 帝踏石

投稿者: | 5月 22, 2021

話の流れは少し前後する。景行天皇は9月中には豊前国の長峡県に到り、行宮を興して京と名付ける。その後、10月に大分国(豊後国)に到る。(景行天皇の時代は、豊前豊後に別れる前で豊国であった。)速見村から来田見村に移動して仮宮… 続きを読む »

景行天皇の足跡を追って 2 貫山(磯津山)

投稿者: | 5月 21, 2021

日本書紀では第12代景行天皇は、神夏磯媛に導かれて佐波から九州のこの地に到達する。神夏磯媛が磯津山の賢木を抜いてそれに神宝をかけて景行天皇の前に現れている。磯津山というのが現在の貫山で、その円錐形の山容は、神として祀るに… 続きを読む »

景行天皇の足跡を追って 1 佐波 御在所

投稿者: | 5月 21, 2021

日本書記において、第12代景行天皇が熊襲征伐の為に九州へ出征する最後の逗留地が佐波、現在の山口県防府市である。景行天皇が仮宮を置いた場所が、玉祖神社の近くに御在所として残されている。 景行天皇は、実在した天皇なのか。もし… 続きを読む »

景行天皇の足跡を追って8 御所ヶ谷 景行神社

投稿者: | 5月 20, 2021

御所ヶ谷で中門跡から景行神社まで行ってみました。途中、京都平野と周防灘を一望できる場所があります。この山が九州最後の砦であったことは明白ですが、これだけの規模の山城でありながら、どの文献にもまったく触れられておらず、謎が… 続きを読む »